和田峠東餅屋風景
尾崎喜八
唐沢、男女倉口、接待と、
さみだれに濡れておもたい新緑の山みちを
論理的に、ぎりぎりに、
ねじ上って来た大型バスがゆらりと停まった東餅屋の茶店前、
ふらふらと出てゆく乗合いの客のあとから、
「御苦労」と撫でてやりたい車を下りれば、
あたりは変にあかるく、暖かく、
此処は未だ芽立ちのままの樹々の梢に霧の襤褸がからまっている。
パイプ片手に其処らをあるけば、
しんみりとした旅の心も何とはなしに花やいで、
ほのぼのけむる小雨のなか、
黒耀石のかけらをあさる。
長途の旅の峠うえでの此の一休みが
みんなの気持をなごませ結び合わせたのか、
茶店のあたり賑やかな笑いや話しごえが起こっている。
湯気を立てて出発を待つ忠実な車に親愛の眼を注ぎながら、
貝殻ほどの石をいくつか握って茶店へはいれば、
赤い腕章をつけた美男の車掌が愛想よく
「お客様、熱いのを一杯いかがです」と、
山中の共同生活を思わせて、
同僚へのように茶碗をつかんですすめるのだった。
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