一年後 
                      尾崎喜八

  猿ヶ京を出はずれて、
  路は吹路への降りにかかる。
  秋よ、
  秋はきらびやかに、爽かに、
  もう漆の葉をまっかに染めている。

  「小父さん、どけえ行くだ」
  四つか五つ、男の子が一人、
  小さい腰に両手をあてて立っている。
  私は立ちどまる、
  あまり小さい子供の、あまり大人びた其の様子に
  私は思わずにっと笑う。
  「法師へ行くんだよ」
  「法師か。法師ならまっすぐだ」
  あくまでもきまじめに道を教える其の子供に
  「知ってるよ」とは私は言うまい。
  思わず帽子に片手をかけて言う、「ありがとう」
  その時私は見た、
  大人のように両手をあてた子供の腰に、
  ちいさい守札のぶらさがっているのを……

      *

  翌年の春もたけて山藤の頃、
  また同じ道を私はとおった。
  はるか姉山の部落の鯉幟に、
  私は去年の子供を思い出した。

  私は歩きながら眼で探した。
  有難い! 子供はいた、路の傍、畑の隅に。
  あの子だ。私はすこし興奮して近づいた。
  「君に上げるよ」
  子供はたじろいだが手に握った、
  私の出したキャラメルの一函を。

  すこし行って私は振り返った。
  子供のそばには母親が立っていた。
  二人してこっちを見ながら、
  母親は頭の手拭をはずして御辞儀をした。

  私も遠くから首をかしげて挨拶しながら、
  其処に、彼らの畑のまんなかに、
  上州の小梨の大木が一本、
  さかんな初夏の光に酔って、
  まっしろな花をつけているのに気がついた。


 


「旅と滞在」目次へ / 詩人尾崎喜八の紹介トップページへ / 煦明塾トップページへ 
注)路 ミチ吹路 フクロ/爽か サワヤカ/漆 ウルシ/小父さん オジサン
  守札
マモリフダ/鯉幟 コイノボリ有難い モン・デユウ/傍 カタワラ
スミ/函 ハコ/其処 ソコ