朝の書斎へ 
                      尾崎喜八

  朝の書斎へすべりこんで、
  椅子につかまり、その肱掛に頤をのせる者、
  ちいさい我が子。

  その眼は机の上の「面白いもの」を一目で見てとり、
  その口は親の心を魅惑して微妙にとがり、
  足は父の膝を求めて懸命によじのぼる。

  朝の時間の掠奪に困惑しながら、
  しかも襟首に汗知らずをたたかれた
  あのかわゆい暴君を抱くたのしさ……

  遠く旅にいて我が子をおもう。
  あすは帰るその前夜の眠られぬ思いの中で、
  時は夏、柘榴咲く晴れやかな田舎の真昼、

  抱き上げた我が娘のエプロンのかくしに、
  ああ、小さい小さいハンケチと、一握りの螢草と、
  思いがけない蝉のぬけがらとを私は見た。





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注)肱掛 ヒジカケ オトガイ/掠奪 リャクダツ/襟首 エリクビ柘榴 ザクロ