樅の樹の歌 
                      尾崎喜八

  私はやはり自分が
  なおもっと充分若かったらばと思う。

  そうしたら私は滑るだろう、
  冬に、北方の高原地方で、
  新しい粉雪に被われた広い、深い、樅の林を、
  一日じゅう、一人で。
  だが、仲間が厭だというのではない。
  若くて、若さのために眩ゆいほどで、
  仲間への愛や協同の念に燃えて、
  それでいて孤独の味を知っているという事は、
  たしかに美しく、男らしい。

  私はやがて雪と夕日との高原の林を
  遥か人里のほうへ滑って来るだろう。
  私は湧き上がる紫の暮色のなかで
  悔いもない純潔な自分に満足するだろう。
  私は試練と冒険とに待たれている。
  自分の未来にほほえむだろう。

  その時私は歌うだろう、
  青春の我が身をたたえるように、
  頼もしい、真実な樅の樹の歌を!

  私は、時々、やはり自分が
  なおもっと充分若かったらばと思う。
  しかしそれとは違う事で、今日、
  更に多くをできるかも知れない。





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注)樅 モミ/厭 イヤ/眩ゆい マバユイ/暮色 ボショク/今日 コンニチ