秋の漁歌 
                      尾崎喜八

  信州は南佐久、或る山かげの中学の
  小使さんが私のために網打ちに行く。
  千曲川もこのあたりではまだ若く、
  古生層の大岩小岩
  らいらいと谷をうずめて、
  朝早い九月の水が浅々と流れている。
  赤魚という鮠は川底の砂に腹をつけ、
  おだやかに鰓をうごかし、
  ひらひらと鰭をそよがせ、
  また尾を曲げて靡くように泳いでいる。
  小使さんの投網のさばき美しく、
  岩の上から腰をひねってさっと投げれば、
  網は朝日に虹を噴き、
  まんまるく空に開いてばっさりと水をつかむ。
  寒い河原にに五位鷺が群れ、鶺鴒が囀り、
  朝の青ぞらのあんな高みに
  硫黄岳の爆裂火口があんぐりと口をあけている。
  小使さんはそんな物には目もくれない。
  ざぶざぶと水を渡って岩から岩へ乗りうつり、
  川瀬の淀をじっと見据えて網を打つ。
  私のびくは真珠いろとエメラルドの
  ぴちぴちする魚でもう重い。
  小使さんはゴールデンバットを短かくちぎって
  首のつぶれた鉈豆ぎせるへ丁寧に挿しこむと、
  「とれましたなあ、
  これならお土産になりやす」といいながら、
  一息うまそうにぐっと吸う。
  その言葉にうれしくうなずく私の目に、
  ああ 千曲川の秋の河原のアカシアの
  黄いろい切箔の葉がもうちらちら散るのである。


 


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注)小使 コヅカイ千曲川 チクマガワ/古生層 コセイソウ浅々 アサアサ
赤魚 アカウオ ハヤ エラ/鰭 ヒレ/靡く ナビク投網 トアミ
噴き
フキ クウ/五位鷺 ゴイサギ/鶺鴒 セキレイ/囀り サエズリ
硫黄岳
イオウダケ/鉈豆 ナタマメ/丁寧 テイネイ/挿しこむ サシコム
土産 ミアゲ切箔 キリハク