足あと 
                      尾崎喜八

  けさは 森から野へつづく雪の上に、
  堅い水晶を刻んだような
  一羽の雉の足あとを見つけた。
  それで私の心が急にあかるくなった。
  雪と氷の此の高原の寒い夜あけに
  あの雉という華麗な 強い 大きな鳥が
  ほのぼのと赤らんで来る地平のほうへと
  野性の 孤独の 威厳にみちた
  歩みをはこぶその姿を私はおもった。
  それを想像するだけで
  もう私の今日という日が平凡ではなくなった。
  なにか抜群なものと結びついた気がした。

  鑿で切りつけたような半透明な足あとが
  雪のうすれた流れのふちで
  いくつもいくつも重なっていた。
  雉は去年の落葉の沈んでいる此の高原の
  一月の青いつめたい水を飲んだにちがいない、
  金属のような光をはなつ
  藍いろの頭と 緑の首と
  あざやかな赤い顔とを静かに上げて、
  冬が裸にしたはしばみの藪かげで、
  なみなみと。
  それならばいよいよすばらしい。
  私の心には 氷雨の時を時ならぬ花が咲いた。
  一望の白くさびしい雪の曠野で、
  私の生きる人生が
  豊かな 優しい おごそかなものに思われた。


 


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注) キジ ノミ/此の コノ/藍 アイ/藪 ヤブ氷雨 ヒサメ/曠野 コウヤ