夏の小鳥が…… 
                      尾崎喜八

  夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ
  ことしもまた遠い旅から帰って来る四月の末、
  高原の村々では農家の暗い家畜小屋で
  山羊や牛や馬たちのお産がある。

  産はたいてい神秘な夜のあけがたに行われる。
  人間と同じように重いのもあれば軽いのもある。
  ひどく重いのは人が手を貸してやらなければならない。
  それにしても 一晩じゅう気懸りで
  何となくそわそわしていた女達や子供達の
  その朝の優しい感動が深く私の心をうつのだ。

  彼等は小屋の前へ立ったりうずくまったりしながら、
  今しがた此の世へ着いたばかりで
  まだびしょびしょに濡れて震えている幼いものを
  せつない愛とあわれみの面持でじっと見ている。
  母のけものもまだ興奮から醒めきらず、
  おどおどしている仔を頬や舌で荒々しく愛撫する。
  そういう時にはたいてい庭の片隅に
  あんずや桜の初花が咲き、
  ういういしい朝日の光とあおあおとした空気の中で
  夏の小鳥たちが声をかぎりに鳴きしきっている。

  私は思うのだ、
  こういう田舎の牧歌的な、厳粛な美を
  あの貧しくて偉大な画家ミレーこそ
  誰よりもいちばんよく知っていたのだと、
  然しミレーの如きは今ではほとんど忘れ去られ、
  もうこんな原始の感動を
  多くの人々は思い出してみようとすらしないのだと。

  そして私は心ひそかに歎くのだ、
  もしもそれが世界の流れの勢いだというのなら
  実り多い真実は日ごとに僻遠に退いて
  地上のおおかたはやがて不生女となるだろうと。

  夏の小鳥が生れ故郷の
  森や野へ帰って来る四月の末、
  田舎の農家の家畜小屋では
  山羊や 牛や 馬たちのお産がある……


 


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注)気懸り キガカリ/濡れて ヌレテ/震えて フルエテ/面持 オモモチ
醒めきらず
サメキラズ/頬 ホホ/愛撫 アイブ/厳粛 ゲンシュク
然し
シカシ/歎く ナゲク/僻遠 ヘキエン不生女 ウマズメ