冬野 
                      尾崎喜八

   

  いま 野には
  大きな竪琴のような夕暮が懸かる。
  厳粛に切られた畝から畝へ霜がむすび、
  風の長い琶音がはしり、
  最初の白い星がひとつ
  もっとも高い鍵を打つ。
  冬は古代のようにひろびろと枯れ、
  春はまだ遥かだが
  予感はすでに天地の間にゆらめいている。

  わたしはこの暮れゆく晩い土をふんで
  わたしの手から種子を播く、
  夕日のようにみなぎって
  信頼のために重い種子を。
  それは沈む、
  深く仕えるもののように、
  地底の夜々を変貌して
  おもむろに遠い黎明をあかるむために。

  きよらかな、澄んだ凝縮が感じられる。
  ただ周囲の蒼然たる沈黙のなかで
  わたしの心が敬虔な讃歌だ。
  そしてもう聴いている、
  とりいれの野が祭りのような、
  燃える正午が翡翠いろの
  海のような六月を……




 


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注)竪琴 タテゴト/懸かる カカル ウネ/琶音 ハオン ケン カン
晩い
オソイ/播く マク/変貌 ヘンボウ/黎明 レイメイ/蒼然 ソウゼン
敬虔
ケイケン翡翠 カワセミ