暁を呼ぶ声
尾崎喜八
このごろ、暁にもまだ早い午前四時ちかく、
私は習慣のように目が醒める。
室内には電燈の光が柔らかく息をつき、
枕もとには昨夜読みさしの書物が白いページをあけている。
温かい夜着の襟からなかば顔を出して、
うとうとしながら、
快いねむりがもう一度自分を抱擁する前に
私はなにかを待っている。
ああ、そのなかば夢の中で私を待つもの!
それは
こんな寒冷な十一月の暁かけて、
どこからともなく湧き上がる鶏の声だ。
十分、十五分、
薔薇の花びらに包まれている思いで、
重たいまぶたを軽くふせて私の待つ現と夢との微妙な時間。
数分、あるいは幾世紀、
と、おお! 突然、
全世界にひろがった寂寞と寒気との深い夜を貫いて、
突き出された槍の穂先のような、
痛惨と歓喜との結晶のような、
一羽の鶏の敢然たるクレーロン。
木の葉の囁きさえも落ち消えた天地の静寂、
それを突き破って、
ほとんど攪乱して、
鮮血を吐くような最初の叫びをあえて上げる者の感情よ!
ああ、その感情を誰が知る。
信念と疑惑とに顫えを帯びた彼の声は、
陰沈たる夜の空間に波を打たして
限りもなく悲壮な調子にひびく。
丘にこだまし、
町々を縫いかけり、
冷厳な暁まえの星ぞらに消えてゆく夜の奥底の叫喚の声。
それは止みがたい内迫の力のために、
勇壮と悲痛との戸口を破って躍り出た精神が、
魂の神秘な光を閃々と発しながら、
人の心の支柱をゆるがせ、
命なきものに命を吹き込もうとする痛烈な叫びだ。
聴け!
常に最初の叫びが持つ情熱と戦慄とのその声を、
血にまみれ、熱に輝き、
怖れと絶望とに彩られたその声を。
組みあわせた腕の指の下で
私の心臓が高くなみうつ。
ふた声、三声、
憤然たる必死の努力、
そしてしだいに確信の調子を帯びて来る彼のクレーロン、
しだいに強味と弾力とを備えて来る暁の歌。
そして、今こそ、
野に叫ぶ第一の声に答えるかのように
全く異なった方角から別の鶏の叫びが上がる。
一段も二段も高めた調子、
これはまた同感と喜悦とに満ちた歌だ、
合図に応じて起つ者の欣然たる答だ。
その声は凛々として四周に響く。
ああ、これを聴きつけて再び立ち上がる最初の鶏、
今こそ彼は同志を得た、友を得た。
うなじを反らし翼を張って彼は歌う。
堂々たる気魄がその号音を確信の響きに満たさしめる。
彼らは寂寞とした夜の二つの方角からこもごも鳴きかわす、
星ぞらを震撼し、空気を波うたせながら、
ほとんど醒めることのない陶酔をもって鳴きかわす。
そして聴け!
今は我が家の背後から更に更に力強い喇叭がひびき出す。
やがて窓の下の鶏舎からもまた別のが。
ああ、かくてしだいに友を得てゆく彼ら、
しだいに声を増してゆく彼らは、
その勇壮と歓喜とのおたけびをもって縦横に暁を貫き、
今こそ乱されることのない確信の歩調をあわせて
世界の夜明けを促し、押しいだす。
何者の力も彼らの喜悦に酔った叫喚の噴出をとどめ得ない。
潮はすでに道をさぐりあて、
洪水となって奔溢したのだ。
次々に起つ新たなる者を合して
彼らの合唱は全大地に瀰漫した。
戦慄をもって予感された未来は
遂にさんぜんとして到着した。
ああ、その何たる新しい壮麗、何たる未前の偉観、
この眩惑するばかりの暁の新世界に湧き上がる海のような讃歌、
この轟々たる勝利の宇宙的な音楽の猛烈さは
暗黒の中の少数の巨人が、
彼らの黒金の手をもって
その歌い手の喉首をしめようとしても
とうていその目的を果たせない程である。
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