木曾の歌 (寝覚) 
                      尾崎喜八

  方形の節理にそって割れた白い花崗岩のかたまりが
  巨大な積木を倒したように横たわっている。
  そのあいだを或る時は青く泡だち、
  或る時は鞣されたように流れている木曾川の水。
  私は爼岩と呼ばれる巨岩のはじに腰をかけて、
  このあたりが地質時代の或る昔に
  一つの滝のすさまじい落口であったろうという
  遠いまじめな地学の夢にふけっていた。

  角ばった禿頭にふさふさ眉毛の老人が
  旅の者である私に近づき、じろりと眺め、
  やがてたたずんで独りごとのように言った、
  「発電に水を取られてからというもの
  この寝覚ノ床は岩の墓場だ。
  床ばかりか世の中全体が味気なくなり、
  人間の気持もすさみきって軽薄になった。
  かけはしや命をからむつたかつら。
  芭蕉翁の昔なんぞ、自然にも人心にも
  こんにちでは薬にしたくも見つかりはせん……」

  以前には校長だったというこの老人に
  私は一々かろくうなずきながら、
  今しも谷間の空を飛んで行く一羽の青鷺を目で追って
  その下流と此処との大きな落差を
  それとなく心づもりに測っていた。


 


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注)花崗岩 カコウガン鞣された ナメサレタ/爼岩 (マナイタイワ) カド
禿頭
ハゲアタマ寝覚ノ床 ネザメノトコ/青鷺 アオサギ/測って ハカッテ