尾崎喜八

  君たち、私に遭遇するや
  たちまちいわれもない憎しみと
  不条理な恐怖とに痙攣して、
  世にもいまわしい姿かたちに弾力ある
  怨念のいきもの、まがつみの霊へのように、
  必殺の杖や石をかまえる者よ!

  水無月の水漬く草はらを行く私は
  涼しく長い銀のながれだ。
  勿忘草の空色をさざめきよぎり
  かおる薄荷の草むらをわけて、
  行くとしもなく行きながら 風無き波----
  私は発端もなく終末もなく
  白昼をゆらめき進む燐の軌跡だ。

  呪いの形に強くわがねた環からほどけて、
  錯迷から錯迷へと溶けては湧き、
  円から円へずるずると霧立ちけむる緑銀の渦巻、
  私にとっては楽しく快い自律の動きが
  君たちにはそれほど厭わしく堪えがたいか。

  雷雨の待たれる片明りの野の木立に
  古代ゲールの竪琴のように身を懸けた私が、
  なめらかに硬い七宝のあたまを上げて
  気圧の変化と湿気の波とを瞑想している時、
  その純粋観客の不動の姿が
  君たちの瞋恚を燃え立たすというのか。

  背の鱗をいろどり濡らす華麗な縞と斑紋と
  エナメルのような腹の青じろさや葵の色によそおわれて、
  悦ばしめる他人目のための仕草もなく、
  苦痛のきわに声も洩らさず、
  忍辱の化身のように強く耐え、
  おおかたは亡命者か賢者のように退避する私が
  それほど独善に、また不信に見えるか。

  常時の保身とたまたまの反撃とは
  私にあって存続の原理だ。
  そして存在とはついに業ではないだろうか。
  しかも私の常の柔和と決定時の崛起、
  私の勤勉と懶惰と底知れず深い執念、
  私の美と醜悪と魅力と危険----
  私が私そのものである時
  君たちは私に逆説の権化を見る、

  あたかもルーテルの烈火の卓を流し目に
  おのがほのぐらい祈祷所へ韜晦する
  あのユマニスト、
  ロッテルダムのエラスムスのように。


 


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注)遭遇 ソウグウ/痙攣 ケイレン怨念 オンネン水無月 ミナツキ水漬く ミズク
勿忘草 ワスレナグサ薄荷 ハッカ/燐 リン呪い マジナイ/錯迷 サクメイ
厭わしく
イトワシク/堪え タエ/竪琴 タテゴト/七宝 シッポウ/瞑想 メイソウ
瞋恚 シンイ セナ/鱗 ウロコ/縞 シマ/斑紋 ハンモン/葵 アオイ
他人目 ヨソメ忍辱 ニンニク カルマ/崛起 クッキ/懶惰 ランダ
醜悪
シュウアク/権化 ゴンゲ韜晦 トウカイ