尾崎喜八

  寒水石のかたまりのような
  まぶしい雲の大きなゆききに
  つやつやした青ぞらが見えたり隠れたりする。
  その紺青と雪白との
  音もない天の動乱の下で
  毎日の深遠な日光や風にかがやく
  ああ、我が武州平野の麦ばたけよ!
  西天にきらびやかな星のうすれる
  あやめ色の夜明けの時、
  お前はもう聴いている、
  こんもりとした村落のむこう、
  まだほのぐらい野の朝風と
  清らかな黎明の露とのなかで
  日のはじめの荘厳を讃える
  友達の雲雀の最初の歌を。

  また美しい広大な真昼、
  とおく、ちかく、
  新緑の涼しい村から村へ
  五月幟の真鯉緋鯉の吹きながれる時、
  卯の花の白い小径に沿って
  お前はだしぬけに身をふるわす、
  身内に伝わる霊妙な受胎を感じながら。
  また鋼鉄の鎌の研ぎすまされる
  あの悲しくも盛んな収穫の日を思えば
  お前の青い髪の毛は逆立って、
  野から野へ
  蒼白いそのざわめきがひろがってゆく。

  しかし、今、
  繻子のような夏の初めの空の下で
  お前はその盛福の日を生きている。
  詩人はお前を讃えて地上の虹だと言う。
  また画家は、お前の光栄に
  ぴかぴかした絵具を惜しまずに捧げる。
  お前の笛はやさしい若葉の下で
  朝から
  もう野趣のある懐かしい音色をながす。
  また、よく夕方、
  罌粟の花びらの暗くなる時、
  小さな花園に隣るひろびろとしたお前を見て、
  その透明な陰の豊かな力強さに、
  新鮮な意欲の溌として動き出すのを
  私もまだ感じるのである。

  こうして冬から春へその生命を漲らせたお前は、
  やがて明るいとりいれの七月が来て
  積まれた束が野にいっぱい
  真紅の落日に大きな陰を横たえる時でも
  なおよく生きたという信念に満足するだろう。
  そして人は
  彼らの眼から
  お前の美しい幻影がまだすっかりは消えないうちに、
  もうお前の子孫を見る事になるだろう。
  なぜかといえば、老いたる冬が
  霜の鬢髪を野の果てに現わすか現わさないのに
  もう新しく鋤き返された大地に播かれ、
  一粒の麦もし地に落ちて死なば
  多くの実を結ぶべしという希望の言葉を
  そのままお前が生きるからである。





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注)寒水石 カンスイセキ/黎明 レイメイ/幟 ノボリ/卯の花 ウノハナ
   小径
コミチ繻子 シュス罌粟 ケシ/溌溂 ハツラツ/鬢髪 ビンパツ