春浅き 
                      尾崎喜八

  春浅き三頭の山に
  なお残る雪を踏まんと、
  そが麓、数馬の里の
  谷ふかく我は入りにき。

  氷柱こそ滝にはかかれ、
  かんばしや、梅はおちこち。
  美しき農家の垣に、
  あたたかや、菫咲きけり。

  しかれども我がいぶかりは
  女子みな、男子もなべて、
  われに遭う村のわらべの
  ねんごろの礼にてありき。

  宿にして夜のまどいに、
  わが問えば、この山里に
  いちにんの若き師ありて、
  他郷人の入り来るあらば、
  貴きと、賎しき問わず、
  礼せよと教えぬという。

  礼すると、はた、せざるとは、
  これ人の心にあれど、
  けなげさは其のわらべらの
  師の教え守るにぞある。
  この心、絶えせぬかぎり、
  全けん、日の本の道。


 


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注)三頭 ミトウ/麓 フモト数馬 カズマ氷柱 ツララ/菫 スミレ
女子 オミナ男子 オノコ アヤ他郷人 ヨソビト
貴き
トウトキ/賎しき イヤシキ アヤ全けん マッタケン