蝉
尾崎喜八
生いしげる木立に囲まれたこの家を、
晴天の毎日、今はさまざまな種類の蝉が
早い朝から日の暮れぐれまで鳴き埋める夏だ。
すでにいくらか数は減ったが
まだ綿々とつづく細い強い糸のように
耳の底や湿った苔にまで浸み入るニイニイ蝉の声、
夜明けと夕暮の広々とした涼しさに
複音のハーモニカを吹き鳴らすヒグラシ、
暑い昼間を一斉に鳴きつれて
煮えたぎり泡立つようなアブラ蝉、
高い木々の太い幹から悠然と歌をはじめて
しだいに力を増す荘重な声の振動で
空間を圧するミンミン蝉、
さては熱と光のこの季節を
早くも秋へと誘いこもうとするような
ツクツクホウシの性急な輪唱。
彼らはその姿すべてとりどりに美しく、
鋳金や七宝を想わせる堅いきらびやかな頭や背に
玻璃のように薄くて透明なのや
飴色で不透明な長いつばさを伏せている。
この土地の夏の主、この家の夏の客、
輝かしい一季節を歌いつぎ生き深めながら
やがての秋の初嵐に
或る朝その軽く乾いた小さい骸を
なお栄える世代の樹下や草の間に横たえて
よく生きた者の悔いなき死を教える一つの典型よ!
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