山中取材 
                      尾崎喜八

  孫のような年ごろの若い女性を道づれに
  私は晩春の花崗岩の谷を登っていた。
  四十年前にその頃の友と一緒に降った谷、
  一つの登山の帰路に急いだ谷を。

  女は革紐がその柔らかい肩へ食い入るばかりに
  仕事のための重い録音機を掛けていた。
  私にはそれがいじらしく痛々しく思われた。
  だが私は私で老いには重い袋を背負っていた。

  道は白い岩の楼閣の中の狭くて急な
  足にも膚にも触れれば粗剛な登りだった。
  しかしみそさざいの棲む水はつねに涼しく清らかに、
  山吹や岩つつじの花が谷のそこここを照らしていた。

  私は目に触れたもの、気づいた事を何くれとなく
  このけなげな女に教え、話した。
  若い彼女は私の老いの富から汲みとった、
  その器量に応じて、好ましいと思うものを。

  谷のつめに一すじの高い滝が懸かっていた、
  ねじれてほどけた布のような美しい滝が。
  女は滝壷近くまで岩伝いに下りていって、
  録音機のスイッチを入れ、テープを廻した。

  私は用意のコニャックの封を切って彼女を待った。
  滝の音も小鳥の歌もうまく採れたらしかった。
  彼女は私から祝福の一盞をうけとると、
  「おじいさま」と言いたげに、にこやかに乾杯した。

 


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注)花崗岩 カコウガン/革紐 カワヒモ/楼閣 ロウカク/粗剛 ソゴウ/山吹 ヤマブキ
器量
キリョウ/滝壷 タキツボ/岩伝い イワヅタイ/一盞 イッサン