あかがり 
                  (冬の夜ばなし)

                      尾崎喜八

  あかがり。つまりあかぎれ。
  そのあかがりで思い出すのだ。

  山みちにはちりちりの紙の造花のような
  まんさくの黄色い花がひっそりと咲いていた。
  雪解の水にしたたか濡れた朽ち葉の下から
  堅い岩かどが靴底を噛んだ。
  ちょうど峠の登りがぐるりと廻る山の鼻、
  朝日のあたる崖のふちにたたずんで
  僕は最後の一瞥を昨夜の貧しい村へ送った。
  谷が見え、橋が見え、分教場の校舎が見え、
  僕を泊めた小さな小さな旅人宿も見えた。
  そしてその低い二階の障子の白さが
  なぜか悲しく僕の心をしめつけた。

  ああ、その時だった。
  頭の上から朝の空気を押しやぶって、
  まるで何か天体が接近して来るように、
  学校へゆく少女の一段が歌を歌いながら下りて来た。
    あかがり踏むな後なる子、
    われも目はあり先なる子……

  それは強く美しい輪唱風の合唱だった。
  古代日本の豪毅で素朴な民族の感情が
  早春三月の水のように
  潺々と惻々と胸を打ってくる歌だった。
  さざなみの滋賀の都や青丹よし寧楽山かけて、
  あかぎれ切らし、たもとおった鄙の乙女ら。
  遠くその血をうけついだ者が隊伍を組んで通過する。
  或る子は古いゴム靴を、或る子は下駄を、
  或る子はすり切れた草履だった。
  その行進には若い動物のそれのような精気があった。
  そして一人一人が僕にぺこりと頭を下げた
  僕も帽子の庇に手をかけて、
  崖を背に、道をゆずった。

  少女の列はつむじ風のように過ぎ去った。
  やがて再び聞こえて来るあの合唱、
  麓をさしてしだいに遠く
  ちぎれちぎれになるその歌ごえ、
    あかがり踏むな……
    ……目はあり、目はあァりィ……
    ……先なる子ォ……
    踏ゥむなよォ……


 


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注)造花 ゾウカ雪解 ユキゲ/噛んだ カンダ/峠 トウゲ/崖 ガケ
   一瞥
イチベツ/分教場 ブンキョウジョウ/障子 ショウジ アト
   先
サキ輪唱 カノン/豪毅 ゴウキ潺々 センセン惻々 ソクソク
    /滋賀 シガ青丹 アオニ寧楽山 ナラヤマ ヒナ/隊伍 タイゴ
草履
ゾウリ ヒサシ/崖 ガケ/麓 フモト