尾崎喜八

  旅の秋が隈なく晴れて
  姨捨から猿ヶ馬場へのもみじの炎、
  そこの森閑とした山上の大池に
  おりから星羽白の大きな群が下りていた。

  午後の弱い日ざしを受けて赤銅いろに輝く頭、
  漆黒の胸と灰白色繧繝模様のまるい背中、
  彼らは或いは水上に浮き、游泳し、逆立ちし、
  或いは渚の砂に暖かくまどろんでいた。

  そのつやつやと張りきった船底形の胸や腹が
  私に鴨類への食欲のようなものを感じさせた。
  しかし詩人ジュール・ロマンでなかった私は
  赤い葡萄酒を思って宿へ急ぐことはしなかった。

  その夜稲荷山での招宴に鴨の肉が出た。
  葡萄色の大切れが厚い鉄板の上でかんばしく焼けた。
  私はあの池での不覚な欲望を心中に恥じながら、
  笑止や、それとこれとを峻別するのに大童だった。


 


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注)鴨 カモ/隈 クマ姨捨 オバステ猿ヶ馬場 サルガバンバ森閑 シンカン
   
星羽白 ホシハジロ赤銅 シャクドウ/漆黒 シッコク/灰白色 カイハクショク
     
繧繝 ウンゲンナギサ船底 フナゾコ/葡萄酒 ブドウシュ/稲荷山 イナリヤマ
招宴
ショウエン/笑止 ショウシ/峻別 シュンベツ大童 オオワラワ