受難の金曜日 
                (富士川英郎君に)

                      尾崎喜八

  まだ褐色に枯れている高原に
  たんぽぽの黄の群落がところどころ、
  そよふく風には遠い雪山の感触があるが
  現前の日光はまばゆくも暖かい。

  かつて私が悔恨を埋めた丘のほとりの
  重い樹液にしだれた白樺に
  さっきから一羽の小鳥の歌っているのが、
  二日の後の古い復活祭を思い出させる。

  すべてのきのうが昔になり、
  昔の堆積が物言わぬ石となり、岩となる。
  そしてそこに生きている追憶の縞や模様が
  たまたまの春の光に形成の歌をうたう。

  『うるわしの白百合、ささやきぬ昔を……』
  そのささやきに心ひそめて聴き入るのは誰か。
  悔恨は長く、受苦は尽きない。
  ただ輪廻の春風が成敗をこえて吹き過ぎる。

                   (一九五九年三月二十七日金曜日)


 


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