春愁
(ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)
尾崎喜八
静かに賢く老いるということは
満ちてくつろいだ願わしい境地だ、
今日しも春がはじまったという
木々の芽立ちと若草の岡のなぞえに
赤々と光りたゆたう夕日のように。
だが自分にもあった青春の
燃える愛や衝動や仕事への奮闘、
その得意と蹉跌の年々に
この賢さ、この澄み晴れた成熟の
ついに間に合わなかったことが悔やまれる。
ふたたび春のはじまる時、
もう梅の田舎の夕日の色や
暫しを照らす谷間の宵の明星に
遠く来た人生とおのが青春を惜しむということ、
これをしもまた一つの春愁というべきであろうか。
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