弟橘媛 
                      尾崎喜八

  このようにして、尊よ、
  これはまたあなたへの新しい試練です。
  それら運命の鎚と金敷の
  絶え間ない、むごい鍛えに、
  いよいよ強くあなたは耐えねばなりません。

  さきには、そのただなかに
  わたくしの安否を気づかわれた、
  あの相模の原ののろいの火でした。
  そして今は、この走水の大灘に
  おん行手をはばむ執念の三角波です。

  あなたにかしずく献身の女を
  つねに憎しむ霊があるのでしょうか。
  しかし、心をささげ、身を捨てて、
  愛する一人の衷に成るという
  女人の不滅を悪しきその霊は知りません。

  尊よ、歎いてはいけません。
  あなたの所遣のまつりごとのために
  みちのくの道はいよよ遥かに白い夏雲。
  今わたくしの落ち沈むこと、
  これは愛です。

  貴い御佩刀を抱くことのできた女の
  これは無上歓喜の姿です。
  不滅の愛に薫ろうとする弟橘の入水に、
  尊よ、なおうら若きおん行末を、あなたは
  いよいよ強くなくてはなりません。


 


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注)弟橘媛 オトタチバナヒメ ミコト ツチ金敷 カナシキ相模 サガミ
走水 ハシリミズ大灘 オオナダ/行手 ユクテ一人 イチニン ウチ
女人 ニョニン/歎いて ナゲイテ所遣 マケ御佩刀 ミハカシ
抱く イダク入水 ニュウスイ