医学・生物学領域の走査電子顕微鏡観察の基礎技術
満嶋 明
走査電子顕微鏡(以下、SEM:セムと発音しても、エスイーエムと発音しても良い)には、一般型SEMの他、低真空SEM、低温SEM
などがあり、また分解能的に普及型、高分解能型、超高分解能型に分類されます。さらに使用する検出器によって二次電子、反射電子、オージェ電子、カソードルミネセンス、特性X線などが利用でき、SEM全体を一言では到底語ることはできません。また、それぞれに特殊な試料作製法や観察法があります。ここでは「基礎技術」として、最も一般的なSEMの使用法(二次電子像観察)について、医学・生物学領域での試料作製の基本と観察技術のポイントについてを述べてみます。 なお、この小冊子の読者対象としては、走査電子顕微鏡を使い始めて1年以内の初心者を対象としています。ご了承下さい。
目次 第1章 試料作製編 第2章 観察技術編 おわりに 参考図書・文献
【第1章 試料作製編】
(1)
試料作製時の3つのポイント 二次電子像(図1)を用いて良い写真を得るためには、はじめに良い試料を作らなくてはなりません。良い試料をつくるためには、ポイントが3つあります(表1)。これをクリアーすることを考えて下さい。 表1 試料に求められる3つの条件 1)
観察したい構造を露出させる。 (観察面の露出) 2)
試料を乾燥する。 (試料の乾燥) 3)
試料に導電性を付加する (導電性付加) それぞれのポイントについて、簡単な説明をしてみましょう。 1) 観察面の露出: 二次電子像では試料最表面から出てくる情報を集めて画像を作成するので、観察したい対象(観察面)を電子ビームに対して露出しておかねばなりません。観察対象がもともと露出している試料では表面のゴミの除去程度で良いのですが、内部に存在する構造を観察したい場合には多少の工夫が必要です。「観察に邪魔なもの」を除去して「観察したい構造」を裸の状態にしなければならないからです。そのための方法として、洗う、切る、割る(凍結割断)、溶かす(消化・除去)、などがあります。勿論、これらの操作中に構造を変形させてはならないので、細心の注意が必要です。観察面の露出法は多くの研究者によっていろいろな方法が考案されてきました(表2)。しかし、取り扱う試料によっては観察者自らが露出法を考案しなければならない場合もあります。 2) 試料の乾燥: 高真空中に含水試料を入れると試料は瞬時に乾燥・変形を起こし、また鏡体にも悪影響を与えるので、あらかじめ試料を「原型を保ったまま」乾燥させておく必要があります。技術は確立されています。「臨界点乾燥法
」または「
t-ブチルアルコール凍結乾燥法」(文献1)
のいづれかを用いてください。どちらも界面張力を生じさせないで乾燥を行う優れた方法です。しかし操作を誤ると失敗します(後述)。 3) 導電性の付加: 乾燥した生物試料は不良導体ですから、電子線を照射すると帯電現象(チャージアップ)を起こします。これを防止するためにあらかじめ試料に導電性を付けるのです。 一般的には、「導電染色法」(重金属を染色手技によって試料表面や内部に付着させて導電性を付ける)と「金属コーティング法」(試料表面に薄く金属をコーティングすることによって導電性を付ける)の2法があります。それぞれを単独で用いている研究者も多くいますが、私は両法の併用を推奨しています。 表2 観察面露出法の例 外表面観察 ゴミや粘液培養液などをを洗浄液で除去した後、固定操作を行う。 50%DMSO(dimetyl sulfoxide)
に浸漬した固定試料を、液体窒素で冷却した金属板の上で凍結・固化し、カミソリ刃で割って内部を露出させる。DMSOの他、100%エタノールや酢酸イソアミルを用いることもできる。ナイフで「切る」より美しい断面を作ることが出来る。 2%GAで固定した試料を 60℃の6N
NaOHで10分程度処理する。膠原線維や基底膜が除去され、結合組織に覆われていた細胞表面が観察できる。 2%GAで固定した試料を 20℃の2N
NaOHで10分程度処理する。細胞成分が除去され、結合組織線維網が観察できる。 メタクリレート樹脂モノマーを血管に注入し、樹脂の重合後に軟部組織をNaOHで溶かし、残った血管鋳型を観察する。 二重固定(0.5%GAと0.5%FAの混合液・1%オスミウム)した試料を凍結割断。0.1%オスミウム処理(20℃、72時間)で割断面から観察に不要な部分を除去して、細胞内構造を剖出できる。核、ミトコンドリア、小胞体、ゴルジ装置などを立体的に観察できる (2)
はじめに観察目的と観察方法を決定する 上に書いた3つのポイントのうち、最も大事なのは
1)観察面の露出、です。「見たい物を裸にしておく」ということです。このポイントをうまくクリアーするには、試料作製の最初の段階から「目的」にかなった操作が要求されます。ですから、「何を、どのようにして観察するか」について検討を行った後に試料作製に着手するようにしてください。 “適当”にグルタルアルデヒド (GA)
に漬けておいて、後から何を見るか考えるというのでは良い試料作製は望めません。「最適な初期操作(初期固定を含める)」は、それぞれの「観察面露出法」によって異なるからです。観察方法が決まらない内に初期操作を始めてしまう(例:適当にGAに漬けておいて・・・)と、試料作製に失敗する原因となるのです。 これはSEM試料に限りません。透過電子顕微鏡でも光学顕微鏡でもあてはまることです。透過電子顕微鏡試料の場合「2%
GA固定」が一般的に行われることが多いのですが、これは「オスミウム後固定→樹脂包埋→超薄切片→二重染色」という観察方法を想定されている場合に有効な方法なのであって、すべての透過電顕試料に有効な固定法ではないのです。また、同じ2%
GA
固定であってもベテラン研究者は観察対象によって緩衝液の種類、総浸透圧、固定の方法などを細かく検討してから固定操作に入ります。「試料の種類の数だけ固定方法の数が存在する」とはよく耳にする言葉です。はじめに目的と方法を決定することを忘れないようにして下さい。 (3)
実際の試料作製時の注意 1)
初期操作:通常、試料作製は「固定」から始まりますが、屠殺、麻酔、脱血、洗浄などがその初期操作と言って良いでしょう。それぞれの項目において観察目的や観察方法(=観察面剖出法)に適合するように周到な準備を心がけてください。観察目的に適合するように、固定液(種類・濃度・浸透圧)、固定方法(浸漬・灌流)、緩衝液(種類、濃度、添加する塩類)などの検討を十分に行います。 2)
導電法の併用:導電性付加には2法あると上に述べたが、それぞれの方法には導電性付加の他に異なった効能があり、併用することによってそれらの効能を十分に活かすことが出来ます。導電染色を行うと試料は硬くなるので、脱水、乾燥、コーティング時の試料の収縮やSEM観察時の電子線損傷をかなり軽減できます。また金属コーティング量を少なくさせると言う利点もあるのです。一方、金属コーティングでは導電性付加だけでなく、表面構造からの情報量を増加させるという効能がある。是非とも2法の併用を行うと良い。なお、導電染色は村上のタンニン・オスミウム法の変法(表3)を用い、コーティングはイオンスパッタ装置(できればマグネトロン型)で白金または金を数nm〜10数nmかけてください。コーティングについては、別ページ()を参照して下さい。 表3 タンニン・オスミウム法(文献2)の変法の実際 1)1% オスミウム酸(緩衝液使用) 60分 2)洗浄(蒸留水または緩衝液)
10分を、6回程度 3)1%
タンニン酸水溶液 60〜120分 4)洗浄(蒸留水または緩衝液)
10分x6回 5)1% オスミウム酸(緩衝液使用) 60分 6)洗浄
10分を、6回程度 3)
乾燥の失敗を防ぐ:上に述べた優れた乾燥法であっても失敗が起きるのは、脱水用溶媒から乾燥用溶媒への置換が十分になされなかった時です。臨界点乾燥の場合は「酢酸イソアミル
→ 液状炭酸」、凍結乾燥の場合は「エタノール →
t-ブチルアルコール(2-methyl-2-propanol)」の置換に注意を払ってください。特に臨界点乾燥法では乾燥装置のチャンバー内で置換作業を行うために置換が不十分になりやすいので、1)
装置に入れる乾燥用カゴの数を少なくする、2)
乾燥用カゴに入れる試料を少なくするといった注意を守ると良いでしょう。 4)
載台時の注意:乾燥された試料はSEM専用の試料台に接着剤でつけますが、導電性接着剤(銀ペースト等)や水性木工用ボンド、エポキシ樹脂接着剤などでは溶剤や接着剤そのものが試料にしみこみやすく、それらが乾燥する時に変形を生じやすいのです。せっかく臨界点乾燥や凍結乾燥を行っても、この段階で構造変化を起こす可能性があるので十分に注意してください。接着後は恒温器などに入れて接着剤を完全に乾燥させてから、金属コーティングに移ります(コーティングの失敗を防ぎ、観察時のコンタミ防止ともなる)。 5)
コンタミネーションの防止:低倍率観察ではさほど問題になりませんが、10万倍を越えて観察する場合、観察中にコンタミが試料表面に堆積して写真撮影ができないことがあります。試料台に付いた手指の汗や油、銀ペースト、両面テープ、乾燥装置やコーティング機の真空ポンプオイルミスト等、いろいろな原因でコンタミが起こりうるので注意して下さい。これらコンタミ原因物質はSEMの内部に蓄積される事もあるので、日頃からコンタミ防止を心がけたいです。液体窒素を使ったコールドトラップの使用は撮影時のコンタミ防止に大きな効果があります。
DMSO凍結割断法
(文献3)
膠原線維除去法
(文献4,5)
膠原線維観察法
(文献6)
血管鋳型観察法
(文献7)
細胞内構造観察法
(文献8)
【第2章 観察技術編】
(1) 観察条件の設定 観察に当たっては、4つの項目についてSEMの設定を行います(加速電圧、コンデンサレンズ電流値、対物絞り径、作動距離)。それぞれは分解能の設定に大きく関与している他、像質にも影響を与えます(表4)。これらの条件設定は一定にしておくのではなく、試料の種類や観察倍率などによって変更し、常に最適条件で観察を行えるように訓練すると良いでしょう。 表4 走査電顕の設定項目 加速電圧 加速電圧が高いほど分解能が高くなる。加速電圧が高いほど入射電子の試料内部へ透過性が高くなる。 (推奨)導電染色と金属コーティングを併用した試料であれば、20〜25kVを選択すると分解能の高い像が得られる。 収束レンズ電流値 ビーム電流を大きく変える。選択できる範囲の中点程度を選択する。 (推奨)分解能を高めたい時には電流値を増やすと良い(像は暗くなる)。 対物絞り径 電子ビームの径を変えることになるので分解能を左右する。小さい絞りほど分解能が高くなると同時に、焦点深度は深くなる。 (推奨)像がケラれない限り、出来るだけ小さい径を選択する。 作動距離(W.D.)
短いほど、分解能は向上し、焦点深度は浅くなる。長いほど、分解能は低下し、焦点深度は深くなる。 (推奨)観察倍率によって変更する。一般型SEMの場合では、3万倍以上では最短(5mm)を、1万倍以下では最長(30mm)を用いると良い。1〜3万倍では10〜20mmの間に設定する。 (2) 写真撮影 1)
対物絞りのセンタリング:最近の装置では、焦点あわせ、非点補正などが自動化または半自動化になっているので操作そのものは難しくないです。ただし、電子線が正しく試料に照射されていることが条件となります。装置全体の軸あわせ(電子銃、コンデンサレンズ)は頻繁に行う必要はありませんが、対物可動絞りのセンタリングは視野を移動させるたびに行うと良いでしょう。対物絞りの位置が正しくないと非点補正が完全に行えません。特に数万倍以上での観察・撮影時には、視野移動のたびに必ずセンタリングを行うようにして下さい。 2)
自動露出の微調整:自動露出装置と言っても、予め適当と思われるコントラストとブライトネスを自らが設定しているに過ぎないのです。試料の凸凹の状態や倍率によって適正なコントラストは微妙に異なります。多少の修練が必要ですが、倍率によって自動コントラストの設定値を少しづつ変えると適正なネガを得ることが出来ます。 3)
マニュアルでの焦点合わせ:オートフォーカスは大変便利な機能ですが、画面全体の平均値としてフォーカスしています。高い倍率で写真を撮る場合には目的とする構造物に焦点をマニュアルであわせた方が鮮明な画像を得やすいのです(表5)。 表5 マニュアルでのフォーカス合わせ 1) フォーカスつまみで焦点をあわせる 2) 非点補正つまみ(A)で最も鮮明な像にする 3) フォーカスつまみで焦点をあわせる 4) 非点補正つまみ(B)で最も鮮明な像にする 5) フォーカスつまみで焦点をあわせる (3)
ステレオ撮影 走査電顕の観察対象はほとんどが立体的な構造物であるので、ステレオ観察するとさらに観察効果が高まります。試料傾斜角度を変えて(7〜10度)、同じ視野を2回撮影します。少し面倒ですが、効果は抜群ですので、お試し下さい。コツとしては、2枚の写真を撮るとき試料の同じ場所にフォーカスを合わせず、高さの違う場所にフォーカスを合わせておくと、立体視した時画面全体に焦点が合っているように見えます。出来上がったステレオ・ペアーは「ステレオめがね」で観察します。慣れると「ステレオめがね」を使わなくても立体視できるようになります。
注1:フォーカスつまみを動かしている時に、像の中心部分が上下・左右(または斜め方向)に動く時は対物絞りのセンタリングが不完全な場合である。センタリングをやり直す。
注2:フォーカスつまみを動かしている時に、像全体が斜めに流れたように見える時は、非点が補正されていない場合である。表5の操作を繰り返す。
おわりに 二次電子像では対象を立体的に、しかも高い分解能で観察できるという利点があります。しかし、物質の同定を行うことは出来ませんし、また観察のために除去した構造との関係の解析もできないのです。そこで、SEM二次電子像だけでなく、光学顕微鏡、透過電顕など他の顕微鏡の併用、免疫組織化学の応用(反射電子像を用いればSEMでも応用可能)など多角的に対象を観察するようにしたいものです。
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参考書 ●図説走査電子顕微鏡-生物試料作製法-、(編) 田中敬一・永谷隆、朝倉書店、1980 ●走査電子顕微鏡の基礎と応用、(編) 日本電子顕微鏡学会関東支部、共立出版、1983 ●医学・生物学領域の走査電子顕微鏡技術、(編) 田中敬一、講談社サイエンティフィク、1992 ●医学・生物学の走査電子顕微鏡、(編) 医学・生物学電子顕微鏡技術研究会、医学出版センター、1992
参考文献 1) Inoue T & Osatake H: A new drying method of biological specimens for scanning electron microscopy: The t-butyl alcohol freeze-drying method. Arch Histol Cytol, 51: 53-59, 1988 2) Murakami T: A revised tannin-osmium method for non-coated scanning electron microscope specimens. Arch Histol Jpn, 36: 189-193, 1976 3) Tokunaga J, Edanaga M, Fujita T et al.: Freeze cracking of scanning electron microscope specimens. A study of the kidney and spleen. Arch Histol Jpn, 37: 265-182, 1974 4) Takahashi-Iwanaga H & Fujita T: Application of an NaOH maceration method to a scanning electron microscopic observation of Ito cells in the rat liver. Arch Histol Jpn, 49: 349-357, 1986 5) Ushiki T & Ide C: A modified KOH-collagenase method applied to scanning electron microscopic observation of peripheral nerves. Arch Histol Cytol, 51:223-232, 1988. 6) Ohtani O: Three-dimensional organization of the connective tissue fibers of the human pancreas: A scanning electron microscopic study of NaOH-treated tissues. Arch Histol Cytol, 51:249-261, 1988. 7) Murakami T: Application of the scanning electron microscope to the study of the fine distribution of the blood vessels. Arch Histol Jpn, 32: 445-454, 1971 8) Tanaka K & Mitsushima A: A preparation method for observing intracellular structures by scanning electron microscopy. J Microsc, 133: 213-222,1984
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