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直訳と意訳と翻訳 満嶋 明 |
(教えて下さい) 私は幾つかの合唱団に関わっています。合唱をやるからには日本語の曲もさることながら、膨大な数の外国語の曲を無視する訳にもいきません。となると外国語の発音はもとより歌詞の理解という壁が眼前にはだかってきます。発音は母音の響きを別にするとさして問題にしていません。相手に通じる発音であれば良いと思っているからです(決して疎かにしている訳ではありませんが)。しかし、詩の理解なくしては歌など歌ったことにはなりません。そこで語句の意味と全体の訳を作って団員に配ることになります。 しかし直訳をしたのでは日本語として意味が通じないことがありますし、生活習慣の説明も付加しなくてはならない場合も生じます。宗教曲ならばキリスト教の説明からやらなくてはなりません。一方、翻訳をするとなると私の文学性の低さが障害となってこれも自由になりません。となると、残された道はその詩の雰囲気(曲とも関連させて)を何となく理解してもらえるような意訳を作るしかありません。果してそれで良いのか否か、自信のない所です。最近の意訳例(シューマン無伴奏混声合唱曲集 Peter版 Nr.4694 より)を掲げますので、ご批判ならびにご意見を戴ければ幸いです。特に、ドイツ詩を専門の方のご教授をお願いしたいところです。 |
【直訳】おやすみ おやすみと僕は君に言うよ。 君には知らせを運ぶ天使があちこちと歩いているのが聞えるだろう。 天使は君にそれを運んでくるし、僕にも挨拶をさっき持ってきてくれた所だ。 君に、僕と天使はもう一度友の歌:さあ、おやすみ、を言おう。 【意訳】おやすみなさい。 おやすみなさい。ほら、天使がおやすみと言って回っているよ。 さあ、おやすみなさい。天使と二人で、見ていてあげるから。 |
【直訳】夏の歌 歌声が夢を織った。春はない、風が鳴っている。 見るがいい、花の夢が掻消されてしまうのを、風が冷たく吹くのを、 以前にはとても若かった繁みも今は老いて立っているのを。 喜びもなく心臓は鼓動し、胸は苦しみを耐えている。 昔は、心臓も胸も自由と歓喜に高鳴っていた。 私が君を愛していた時には、君のまなざし向かって、 喜びの青春が、私を、明るくあおりたてた。 君が立ち去るのを見た時、自分が一人さみしくたたずむのを見た。 どうやってそれを耐えれば良いのだろう。つまり、私の命は敗走した。 君の花嫁の冠はどこにあるのか、(明るく楽しい筈の)5月よ。 お前のそばには輝きはない。何時、愛する太陽の輝きが消えさってしまったのか。 夜鳴ウグイスが、大きな音を鳴いて君には翼をつけ、 私といえば下の方へ連れさってしまう。 つまり墓場の中にさく(夏の花である)バラの元へ。 【意訳】夏と言ふは 歌、夢まぼろしを見せしのみ。 春はいづかたにもなく、風の吹きすさびたり。 汝ら見るべし、花咲く夢みごと掻き消され、 風冷たく、若かりし繁み今は老いたるを。 ああ、高らかに鼓動したる心臓も今や喜びを知らず、 胸は苦痛の重きを覚えるのみ。 君を愛し、心君がまなこに向かいて羽ばたきしは、既に過去になりぬ。 君去りゆきて、我一人にして佇みぬ。 おお、如何にして堪え得べけんや、即ち生命の敗走。 5月よ、夏の冠は何処ぞ! そが輝きは失われたり! 輝ける太陽の消え去りしは何時なるぞ! ナイチンゲール高く鳴きて君に翼を与えしも、 我を墓地の中なるバラの元へと連れ行きたり。
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