投稿:ゲーテ、シューベルトと「野ばら」 久方 東雲


 
 童は見たり 野中のばら
 清らに咲ける その色愛でつ 
 あかず眺むる 
 紅におう 野中のばら 
 
 手折りて行かん 野中のばら 
 手折らば手折れ 思い出ぐさに  
 君を刺さん 
 紅におう 野中のばら  
 
 童は折りぬ 野中のばら  
 手折りてあわれ 清らの色香  
 永久にあせぬ紅におう 野中のばら
 
 童は見たり 荒野のばら
 朝とく清く 嬉しや見んと
 走りよりぬ
 ばら ばら赤き 荒野のばら
 
 われは手折らん 荒野のばら
 われはえ耐えじ 永久に忍べと
 君を刺さん
 ばら ばら赤き 荒野のばら
 
 童は折りぬ 荒野のばら
 野ばらは刺せど 嘆きと仇に手折られにけり
 ばら ばら赤き 荒野のばら

 多くの人々に愛され、親しまれてきた「野ばら」の歌詞である。大抵の人は一度は口ずさんだことがあるに違いない。もともとはゲーテの詩によるものであるが、面白いことに左も右も近藤朔風の訳詩である。どうして2つの訳詩があるのか、その理由は分からない。ただはっきりしていることは左の訳詩はシューベルトの曲につけたものであり、右の訳詩はウェルナーの曲についたものである(野ばら社「世界の名歌」)。

ゲーテの詩にはシューベルトは勿論、ベートーベン、シューマン、ブラームスを始め、多くの作曲家が曲を付けているのは言うまでもない。そしてドイツ歌曲の中心的存在と位置付けられているものが多い。またこの「野ばら」のように、ゲーテの1つの詩に何人かの作曲家が曲を付けていることも多くの人が知っている通りである。例えば「君よ知るや南の国」、「ただ憧れを知る人ぞのみ」や「すみれ」などに、ベートーベン、シューベルト、シューマン、チャイコフスキー、モーツアルトらが挑み、「すみれ」には約20曲もあるという。日本の歌でも「砂山」に中山晋平と山田耕筰の二人が作曲している例もあるのも知っての通りであろう。しかし驚いたことに最近の日本、ドイツ、オーストリアの学者らの調査で分かってきたことであるが、この「野ばら」にはシューベルト、ウェルナーのほか、ベートーベン、シューマン、ブラームス、ライヒャルトら、古今の大作曲家も名を連ねた150を超える曲がついているという(現在分かっているところでは154曲あるらしい)。

 一方、ゲーテの詩は古来から多くの詩人や文学者によって日本語に訳され、親しまれてきたのもここで改めて言うまでもない。そしてドイツ歌曲の日本語訳詩版として日本でも多くの声楽家によって歌われてきたし、今でも歌われ続けているのである。

ところがこの「野ばら」のようにゲーテの1つの詩に2人の作曲家によって曲が加えられたものが日本で愛唱され、その2つの曲に同じ人によって異なる詩に訳されて歌われている歌があることをどのくらいの人が気付いているであろうか。当然のことながらそれぞれシューベルト、ウェルナーの曲に合わせて訳したものと思われる。詩があって曲がつく。歌曲にあってはこれが極く普通のことで、だから作詞、作曲と言うのであって、作曲、作詞とは言わない由縁であろう。この「野ばら」にあってももちろんその通りであった。しかし、訳詩の場合はそうはいかない。近藤朔風が何時、どちらを先に作ったかは定かではないが、右側のウェルナーの訳詩が先ではないかと思われる。ここで、ゲーテの詩そのものとその対訳を示そう。

「野ばら」  
 
 
 わらべは見た、小ばらの咲くのを。                         
 荒れ野の小ばら。
 水々しく、目ざめるように美しいので 
 近くに見ようと走り寄り、
 喜びに溢れて眺めた。
 小ばら、小ばら、赤い小ばら、
 荒れ野の小ばら。
 
 
 
 
 わらべは言った。「お前を折るよ、
 荒れ野の小ばら。」
 小ばらは言った。「私は刺します。 
 いついつまでも私を忘れぬように。
 どんなことがあっても
       折られたくありません。」
 小ばら、小ばら、赤い小ばら、
 荒れ野の小ばら。
 
 
 
 
 
 けれども乱暴なわらべは折り取った。
 荒れ野の小ばら。
 小ばらは逆らい、そして刺した、
 けれど嘆きやため息の甲斐もなく
 是非もなく折られてしまった。
 小ばら、小ばら、赤い小ばら、
 荒れ野の小ばら。
 
 
 
 

 この対訳と比べると、ウェルナーの曲の訳詩の方がより直訳に近い感じがする。そしてシューベルトの曲の訳詩はむしろ意訳あるいは近藤朔風の中に溢れる感情を足し合わせてゲーテの詩を訳したとも感じ取れるのである。とすれば、先ずはウェルナーの曲の方を訳詩し、次にシューベルトの曲を訳詩したとも言えはしないだろうか。

 近藤朔風の訳詩はそのくらいにしておいて、シューベルトの曲とウェルナーの曲を比較してみると、大抵の人はシューベルトの曲はリズミカルで素朴に感じ、ウェルナーの曲は流れるようなメロディーが美しいと感じるだろう。そしてともに素晴しい曲だと思っているに違いない。私もかつてはそのように考え、どちらをというのでもなく、時と場合によってともに口ずさんだものである。

そう、こんな風に感じたこともあった。シューベルトの曲はあたかも車山にハイキングに行っててくてく歩いていると、ふっと近くに野ばらを見つけた、そんな時に歌いだしたくなる歌であり、ウェルナーの曲はやまなみハイウェーを車で走っているような場合、一面の野ばら畑に出会って思い出すような歌であると。歌詞の2番や3番を知っていると必ずしもそういう感じにはなれないかもしれないが、大抵の場合は1番目の歌詞だけ思い出すのである。そして私もかつてはそうだったのである。

 しかし、2つの曲を素晴しいと思う気持ちに変わりはないが、手塚富雄の「ドイツ文学案内」を読んで、この2つの曲に対する考え方が大きく変化したのを覚えている。そしてゲーテのこの素朴とも思える「野ばら」の詩にはなお汲み取りきれない深い内容、背景が存在することを初めて知ったのである。

 ゲーテはライプチヒで健康をそこね、フランクフルトの父のもとで1年半心身を養った後、1770年4月にシュトラスブルクに移った。そしてシュトラスブルク郊外の村ゼーゼンハイムで牧師の娘フリデリケ・ブリオンに会うのである。この出会い、そして彼女との愛はゲーテの生涯にとって決定的な意味を持つことになったのである。大学時代を過ごしたライプチヒが「当時小パリといわれて社交や流行の支配する華麗な都会であったのに対し、シュトラスブルクでは一歩外に出れば美しい自然の風景と活力ある民衆生活に触れることができ、ルソーの『自然に帰れ』の声に呼応することができた」のである。そのような状況のもとでフリデリケ・ブリオンに会い、「社会的慣習や社交などに制約されない、素朴な環境のなかでの自然の感情に満ちた愛」に目ざめたのである。そしてゲーテにとっては今までとは違った、自然で力強い「ゼーゼンハイムの詩」が生まれたと言われている。その1つが「野ばら」であり「五月の歌」である。ここに「五月の歌」の一節をあげよう。勿論、ドイツ語の原詩は韻をふんでおり、訳詩より遥かに素晴しい響きがある。

「五月の歌」

 
  なんと晴れやかな       おんみは晴れやかに祝福する、     そのように愛する、   
  自然のひかり         生命わく野を、            自由なひばりは
  日はかがやき         花にけぶる              歌と高みを、
  野はわらう。         みちみちた世界を。          朝の花は空のかおりを、
     ………                             そしてわたしはきみを、
  おお愛よ 愛よ。       おお少女よ 少女よ、         湧きたぎる血で。
  黄金なすその美しさ、     わたしは君を愛する!
  峰にかかる          きみの眼はかがやく!          ……………
  あの朝空の雲に似て      きみはわたしを愛する!

 

 なんと素朴で若々しく喜びに満ち満ちて、それを身体全体で表現しているではないか。これがフリデリケ・ブリオンに対する若きゲーテの自然の愛を最も端的に表わしている詩であるように感じる。

 しかし、「若いゲーテの中にたぎる諸々の力の充溢、とどまるところのないその生長の意欲は結局のところこの牧歌的な恋の成就に安住することを許さず、彼はやがて可憐なフリデリケ・ブリオンを傷つけ、捨てることになった」のである。「相手が純真そのもののような少女であっただけに、それに対するゲーテの罪悪感は大きかった」のである。ゲーテの芸術的天分がフリデリケ・ブリオンによって目ざめさせられ、その天分が可憐な存在を踏みにじったのだとも言えよう。ゲーテがフリデリケ・ブリオンとの愛に安住していたら後年のゲーテのあれほどの仕事は生まれなかったであろうとも言われている。

 フリデリケ・ブリオンに対する懺悔の念は以後のゲーテの作品の大きなモチーフとなって、いろいろな場面で表現されているのである。ゲーテの作品を読むものはこのモチーフが再三形を変えて出てくるのに驚きを感じるほどであろうといわれる。「『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』では自分をワイブリンゲンという不実の男に仕立て上げ、自分を徹底的にやっつけており、また自叙伝『詩と真実』では口授した時のフリデリケ・ブリオンのくだりでは部屋の中を歩きながら何度もため息しては立ち止まることをくりかえした」とのことである。そしてゲーテ生涯の大作『ファウスト』にはグレートヒェンとして登場させ、第1部ではこのグレートヒェンに「ツーレの王」と「心の落ちつきうせて」を歌わせているのである。ゲーテとフリデリケ・ブリオン、二人の気持ちがしみじみと伝わってくるのを感じずにはいられない。

 
                 「ツーレの王」
 
 むかしツーレに王ありき。      王、死ぬる日の近づくや、      老いにし王は飲みほしき、  
 契りをかえぬこの王に、       国の町々数えては          これを限りの命の火。
 いとしき人は、こがねの杯を     世つぎの御子に与えしが、      いとも尊き杯を
 のこして、あわれみまかりぬ。    杯のみはとめおきぬ。        海にぞ王は投げてける。
 こよなき宝とめでたまい、      王はうたげに座してけり、      落ちて傾き、海ふかく、
 乾しけり、うたげのたびごとに。   もののふ、まわりに居ならびて。   沈み行くをば見おくりぬ。
 この杯をほすたびに         海のほとりの城の上、        王はまなこを打ち伏せて、
 涙はひとみに溢れたり。       祖先をしのぶ大広間。        飲まずなりにき、しずくだに。

 

 
               「心の落ちつきうせて」
 
 心の落ちつきうせて         心の落ちつきうせて         心の落ちつきうせて
 胸は重し。             胸は重し。             胸は重し。
 尋ぬとも、そは           尋ぬとも、そは           尋ぬとも、そは
 帰らず、ついに。          帰らず、ついに。          帰らず、ついに。
 
 君、いまさねば、          窓より見るは            わが胸は
 いずこも墓場。           たゞ君が姿。            君が慕いこがれる
 世はあげて、            家を出ずるも            あゝ、君を
 この身ににがし。          たゞ君を求めて。          いだきとめ、
 
 あわれ、わが頭           君が男々しき歩み          心みつるまで
 狂えり。              けだかき姿、            口づけせばや。
 あわれ、わが心           口もとのほゝえみ、         君が口づけに
 千々に砕けぬ。           まなざしの力。           絶え入りぬとも。
 
                   君がことばの
                   たえなる流れ、
                   わが手とり給う御手、
                   あゝ、君が口づけよ!
 

ゲーテが82歳の時、すなわちその死の前年に完成した『ファウスト』の終結部に、天国できよめられて恋人ファウストを待つグレートヒェンを描いたことも、その底にあるのはやはり同じ気持ちなのである。 

 このような背景を知ったうえでもう一度「野ばら」を読み直してみよう。勿論、詩の中で「少年」は若きゲーテであり、「野ばら」はこのフリデリケ・ブリオンであることは言うまでもない。まさにゲーテの思いが伝わってくるではないだろうか。

 「野ばら」   ―手塚富雄訳―  
 
   野にひともと薔薇が咲いていました。  
   そのみずみずしさ 美しさ。       
   少年はそれを見るより走りより       
   心はずませ眺めました。      
   あかいばら 野ばらよ。    
                   
 
  「おまえを折るよ、あかい野ばら」     
  「折るなら刺します、          
   いついつまでもお忘れないように。      
   けれどわたし折られたりするものですか。」 
   あかいばら 野ばらよ。          
                       
 
   少年はかまわず花に手をかけました、    
   野ばらはふせいで刺しました。      
   けれど嘆きやためいきもむだでした、   
   ばらは折られてしまったのです。      
   あかいばら 野ばらよ。
 
 
 
 
 
 
 「野の小ばら」  ―高橋健二訳―
 
  わらべは見つけた、小ばらの咲くのを、
  野に咲く小ばら。
  若く目ざめる美しさ、
  近く見ようと、かけよって、
  心うれしくながめたわらべ。
  小ばらよ、小ばらよ、あかい小ばらよ、
  野に咲く小ばら。
 
  わらべは言った、「お前を折るよ、
             野に咲く小ばら!」
  小ばらは言った、「わたしは刺します、
     いつもわたしを忘れぬように。
     めったに折られぬわたしです。」
  小ばらよ、小ばらよ、あかい小ばらよ、
  野に咲く小ばら。
 
  けれども、つれないわらべは手折った、
  野に咲く小ばら。
  小ばらは防ぎ刺したれど、
  泣き声、ため息、かいもなく。
  折られてしまった、ぜひもなく。
  小ばらよ、小ばらよ、あかい小ばらよ、
  野に咲く小ばら。

 

 ここまでくればゲーテの詩「野ばら」とその背景の延長上にシューベルトの曲があることは容易に理解されよう。原曲はト長調で書かれており、最も高い音はGでかなり高く、テナー(あるいはソプラノ)を意識して書かれたものである。その音域自体にロマンを秘めていてテナーにそれを唱わせているのである。曲は「Lieblich(可愛らしく)」で唱い始める。「ミミミミソファファミレーレレミファソード」と単調な音が続いていき、ピアノ伴奏も単調である。この Lieblich と単調な音の組み合わせが如何にも素朴な響きを醸し出しているように思われる。たった4小節の音の流れに若いゲーテとフリデリケ・ブリオンとの素朴な愛を表わすのにこれ以上の音の組み合わせがあろうかと言わんばかりの音楽をまさに感じるのである。

 そしてこの4小節に続く4小節は起承転結の「承」にあたるが、単に「承」のみならず、二人の素朴な愛の亀裂を予感させる音楽になっているように感じられるのである。すなわち前の4小節の初めの4つの音を繰り返して「ミミミミ」となるが、それに続く音が「ソファ(#)ファ(#)ミレー」となって微妙な心の変化を示しているように感じられる。そして初めの4小節とは違った開をしていって、Freuden(喜び)の Freu- を最も高いド(原曲 G)の音で聞かせ、同じ音でばらの赤を唱わせているのである。最後は心はずむようなピアノ伴奏で締めて、天国で恋人ファウスト、実はゲーテを待つグレートヒェン、フリデリケ・ブリオンにつながっているとみるのは余りにも穿った見方と言えるであろうか。

 全体は単調な有節形式で作曲されている。シューベルトの有節歌曲は大変めずらしいことである。これはゲーテの考えに基づいていると言われている。これがまた素朴な感じを与えるのであるが、そのことは敢えていうならばシューベルト自身がゲーテとフリデリケ・ブリオンの素朴な愛に憧れ、それを擁護していると言えるのかもしれないのである。

そして20世紀最大の歌手といわれるかの偉大なディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウはこの「野ばら」の背景を知りながらも、実にサラッと歌い流しているのである。「たかが愛唱歌―野ばら」と一口に言ってもその背景にはフリデリケ・ブリオンに対するゲーテの愛と深い懺悔の気持ちが込められているのである。

参考書   

*手塚富雄訳 「ゲーテ詩集」(角川文庫;昭和48年4月30日改版15版発行)

*高橋健二訳 「ゲーテ 愛の詩集」(人文書院;昭和39年6月1日改訂版重版)

*手塚富雄著 「ドイツ文学案内」(岩波文庫;昭和40年10月20日第3刷発行)

*ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ著 原田茂生訳
       「シューベルトの歌曲をたどって」(白水社;昭和51年2月26日発行)

*ゲーテ著  「ゲーテ全集2 ファウスト」(人文書院;昭和35年9月30日初版発行)

*「世界の名歌」pp.118〜120(野ばら社:1958年改訂重版)

*坂西八郎編 「Goethe Heidenroeslein 楽譜「野ばら」91曲集」
        (岩崎美術社;1997年3月31日初版発行)

*ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ講師
       「NHK趣味百科 シューベルトを歌う」
        (日本放送出版協会;1997年1月1日発行)

なお、ドイツ文学に少しでも興味のある方は手塚富雄の「ドイツ文学案内」の一読をお進めする。感動することが多く、解説書としては最高の名著の一つであると思う。


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