人の上に人を作らず        満嶋 明


 

同和運動に取り組んでおられる方々へのエールとして:

この書き物は、あるグループからいただいた同和問題へのアンケートに添付する参考資料として急遽綴った物(1996年7月)ですので、あるいは適切さに欠ける部分があるかもしれません。ご容赦下さい。

あまり長い文にしないために主に「平等」に関する考え方の一つを述べ、さらに「自由」のあり方、「日本文化との問題点」について少し触れました。自由と平等、この言葉に意味を理解しつつ、部落問題や男女差別を始め、種々の差別意識の撤廃に皆さんと共に考えていきたいと私も思っております。


 

 現在、同和という活動が地域や学校で広く行われています。いわゆる部落解放運動を地域と行政が一体となって行っているものです。日本における階級制度は明治政府の四民平等と部落解放令によって法律上は全廃されたことになっています。しかし、終戦まで華族や爵位は存続していましたし、物心両面の階級的な差別は今でも続いています。そこで、昭和40年に同和対策審議会答申が出されて被差別部落の解放は国の施策となり、差別意識の撤廃、部落の環境改善、経済援助を行うことになりました。しかし、法律を作っても差別意識はなくなりませんでした。被差別部落だけでなく朝鮮民族やアイヌ人、障害者、AIDS感染者などに対する差別意識も問題となっています。男女差別も重要な問題でしょう。ただ残念なことに、長年の努力とは裏腹に差別意識は全く変化なく存在し続けているようにも思われます。また、差別用語なるものが登場して以来、その語句が一人歩きして思わぬ問題が生じたりもします。いったい、どうして差別意識なくならないのでしょうか。

 同和教育そのものにも問題がないとは言えません。国の施策ということで、上からの指導に準拠して担当の教諭や行政マンが試行錯誤の中で活動を行っているように見受けられます。酷な言い方をすれば表面的な教育とさえ映ります。本来は人間の心の中の問題ですから、担当している人々の心の中から湧き出でる向上心と自由と平等に対する熱意があってはじめて教育という行為がなせるのではないか、ただ資料の供覧と話合いだけでは、心の中に自由と平等についての基本意識を芽生えさせることは期待できないのではないか、と言うわけです。しかし、担当者になる人にとっても、そのような同和教育についての教育を受けてきていなかったのですから急に理想を求められても困るのだと思います。国としても事務的な文書で下部に指導をする訳ですから、なかなか心のこもった詳細な指導というには困難で、結局、目に見える形=予算で誠意をみせるしかなかったのかもしれません。(この経済的支援が「自由と平等」そのものを根底から破壊する行為であるということがあまり理解されていませんが、この問題は別の機会にゆずりましょう。) 

 このままでは差別意識の撤廃など夢のまた夢ではないかと失望してしまいます。しかし、差別意識はなくさなくてはなりません。文句ばかり言っていても事態はかわってゆきません。では、いったいどうすれば良いのでしょうか。現況の法律は法律として、実際に同和対策に携わっている人々(ボランティアの人、学校の先生、教育委員会、同和対策推進委員会の人、その他の人々)も、差別をしている人も、差別を受けている人も、つまり、みんなで、今一度「人間の自由と平等」、言い換えると「(基本的)人権」について勉強しなおす必要があるのではないかと、私は考えています。しかしながら、何と不可解な言葉でしょう「人権」とは。この小冊子では、人権という語句はなるべく避けて、まだ想像のつきやすい「自由と平等」という語句に置き換えて多用することにします。

 「人間の自由と平等」という語句はよく目にし耳にします。同和事業の根本精神です。大切な哲学です。先にあげた同和審議会の答申にも「部落問題は、人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保証された基本的人権にかかわる課題である。」と述べられています。しかし、どうでしょう、このお題目の意味が十分に論議され、理解されているのでしょうか。同和教育でもっとも時間を割いて理解をさせなければならない項目なのですが、答は、NOですね。大事であることは承知していても、真の理解ができていないのが現状と思います。私自身、小学校や中学校時代にその語句と表面的な意味は教えて貰いましたが、自由と平等の理念を深く教育された記憶がありません。高校に入るともう受験勉強で、本来の人間のあり方についての教育などありませんでした(25年前の福岡県)。大学の教養科目で憲法や倫理学などがありましたが、逆に自由と平等については学習ずみといった感で講義がなされていました。本来の人間のあり方についての議論など、私の周囲では見かけられませんでした。これは私に限らず、一般の人々にとっての自由と平等に対する感想なのでしょう。

 「人間の自由と平等」とは単なる建前に過ぎないのでしょうか。たぶん、建前では困るものでしょう。しかし、もともと自由なり平等なりの考え方は、輸入された概念といっても良いでしょう。終戦後、気がついたら日本は自由と平等の国になったらしい、といった認識が大方の人の意見だと思います。外国では自由と平等を克ち取るために血を流したのですが、日本では敗戦が自由と平等を持たらしたのです。ですから、日本人にとってはそんなに深刻に考える必要に迫られることもなく、自由と平等にかかわる教育もほとんど皆無といっても良い状態なのです。そんな中で唯一、差別を強く受けていた方々だけが真剣に自由と平等に向かって戦ってきました。自由とはいったい何なのでしょうか、何でも自分の勝手でよいという理屈なのでしょうか。我儘とは違うのでしょうか。平等とは何でしょうか、公平とどう違うのでしょうか。私は、叱られるかもしれませんが、実は被差別部落の問題はこの「自由と平等」の大問題の中のたった1つの小部分に過ぎないと考えています。ですから、「自由と平等」についての理解ができてはじめて、部落問題についての活動が本当の意味で活性化すると考えているのです。

 少し視点を変えてみましょう。人間が人間を支配するということは、有史以来ずっと続いてきました。これは社会組織を運営するためにはピラミッド的な社会構造を採らざるを得ませんから、ある意味では仕方のないことかもしれません。どこの官庁や会社でも、ただ一人の市長(社長)がいて、何人かの部長がいて、課長、係長、そして平となります。さらに非常勤やパートさんもいることでしょう。しかし、基本的には社長も平社員も人間の価値は同じですから、仕事上での権限(または仕事の能力)は異なっても、一旦仕事を離れれば、同じ人間どうしということになります。仕事でどんなにすごい業績を上げたとしても、それがイコール人間の価値にはならない筈なのです。その業績にはちゃんと報酬として給料等がすでに支払われている筈なのです。しかし、どうでしょう。権限や業績を持つ立場にいる人の中には、ついつい「人間的」にも「自分の方が偉い」と勘違いしている人も少なくありません。逆に、部下にあたる人は上司にあたる人を「偉い人」と勘違いしています。過去の業績(すでに報酬受領済み)だけで「自分は人間として優れている」と錯覚している人が多いのです。私達の側も10年以上前にオリンピックで金メダルを獲得した人が今でも人間的に優れていると錯覚してしまいます。金メダル獲得は賞賛すべきですが、現在のそのメダリストの人間性をその金メダルは保証していない、にも拘わらず、です。

 会社の上司のどこが人間として「偉い」のでしょうか。仕事の中では上下関係はありますが、仕事を離れれば本当は「偉い人」ではない筈です。平等であり自由なはずです。ただ、現実問題として上司に人事権とボーナス査定を握られているのですから、仕事以外のことでも何事でも逆らう訳にもゆかず、結局何でも言うことを聞いてしまいがちで、「上司が白と言えば黒くても白」となってしまう日本社会です。宴会で社長さんが「これは旨いね」というと、下はみな揃って「本当においしいですね」と言ってしまいます、たとえ自分の好みには合わなくても・・・。「下」がそんな風に「上」に押しあげてくれるのですから、権限のある人々の中には自分(の考え)が(その小さなグループの中では)一番だとなおさら勘違いしてしまうのでしょう。それに、悪い気持ちもしませんからね、「下に置かない」というのは。しかし、実はこの辺りに現代の日本が抱える同和問題の根っこがあると私は考えているのです。つまり、「下に置く」ということが極端な形で現われると差別ということになるのではないか、それは「下にも置かない待遇」や「上の人は偉い人」という言葉に表される感覚(意識)と表裏の関係にあるのではないかと考えるのです。しかし、一概にそれらの言葉の表現を良くないとは言えません。なぜなら、それが社会通念として長く(おそらく弥生時代から)日本社会に続いてきたからです。別の言い方をすれば、「自由と平等」が根づいていないからです。

 日本には会社や上司(または国)に対して忠義(仁義礼智信が儒教の教えでした)という考え方があって、殿様が何をおいても一番でした。 忠誠を尽くすことは重要な事だったようです。それが、現在に至っても殿様(社長、市長)は「偉い」らしい。でも、殿様もつらいようです。一藩の殿様(知事)も「お上(将軍、政府)」の決めたこと(「上意」)には逆らえません(沖縄の知事などはお上に逆らって頑張っておられましたが)。殿様は地方交付金の決定権を握られています。権利を握っている方は権利を離したがりません、「偉い」立場を保つためにはこの権利がものを言うのですから。これは行政改革の壁になっているどころか、差別意識の温床になっているとも言えるのです。制度改革を嫌がる中央省庁の考え方そのものが同和運動の最大の妨げかもしれません。さて、問題は殿様のつらさではなく、支配階級の問題です。殿様と家来たち、つまり武士集団は支配階級として他の職種の人々を支配しました。この支配は仕事の上ばかりか、人間の価値までも上下関係を作っていたのです。上の人は人間としての価値も高く、下の人は虫ケラや動物として扱われたのです。奈良時代や平安時代は朝廷(貴族)が、鎌倉以降は幕府(武士)が、明治から敗戦までは再び朝廷(政府関係者)が支配階級でした。教育レベルが低く、業務遂行が低いと思われた人々(支配される側、つまり被支配階級)は、「人間としての価値は高く、知性と教養を持ち、裕福な生活をしている人々」(支配階級)を「偉い」と思わさせられたのかもしれません。長い年月続いてきた支配・被支配という関係は、社会通念(常識や文化、例えば敬語)などにも浸透していて、未だに続いていると考えて良さそうです。

 近世になって民主主義的な考え方がヨーロッパにようやく芽生てきて「人間は平等であるべきである」ことに気がついたのです。宗教改革やデカルト、カント、ショーペンハウエルなどの哲学者、シラーやゲーテなどのドイツ啓蒙主義の流れなどを学習すると思い当たりますし、イギリスやフランスの革命も重要な学習となるでしょう。それでもヨーロッパにも差別問題は山積みなのですが。また、アメリカ合衆国は国の第一のルールがなんと自由と平等なのです。中国の人権問題や日本の輸出超過に対して文句をいうのも、経済面だけでなく根底に自分たちが自由と平等のリーダーであると自負しているからなのでしょう。経済摩擦は大変な問題なのですが、自由と平等を国是としている国と自由と平等の意味がよく判らない国では、結局は文化の根底が全く異なるのですから、すぐには話はまとまらないのでしょう。ただ、その自由と平等は白人の特権でした。黒人は白人よりも下という社会通念は、政府や知識人のレベルではなく社会全体としての一般的な感覚は、いまだにアメリカと言えども拭えていないのですね。

 日本では近代社会への脱皮を目指した明治政府が、制度上の問題として四民平等(といっても士分と平民)、部落解放(穢多非人等之名称被廃候条、自今身分職業共平民同様タルベキ事)を打出しました。しかし、たぶん卑弥呼の時代(つまり弥生の農耕文化)から続いてきたであろう現在の支配・被支配の社会通念を法令ひとつで変えれるはずもありませんでした。被支配階級の中で最も下層に位置付けられていた非人あるいは穢多(エタ:穢は汚れという意味)たちは真の解放を求めて「水平社」を設立し、部落解放運動を起こしました。非人は字のとおりヒトニアラズ、ヒトデナシ(人間ではない)という意味で、人間でありながら動物と同じように扱われていたからです。地域によっては、非人のことを「4ツ」(動物の指は4本だから)、「レンガ」(日干レンガは4つ単位で作られたから)などと呼びました。さて、時の支配階級(特に江戸時代)は非人たちに対して隔離政策を取りました。かつての南アフリカの黒人隔離政策と同じです。当時、白人だけが人間として認められていたのです。マンデラさん達の活動は水平社の活動と同じものと考えて良さそうです。さて、隔離された非人の居住地区を非人部落と言いました。現在は、非人という名称は存在しないことになっているのですから、単に部落と言っているようです。ですから「部落」というのは、いわゆる人の集落という意味ではなく、その昔、非人と呼ばれた人々の集落ということになりますね。残念なことに、あの地区の人々は非人ヨ、とか、あの苗字ということはもともと非人ネ、あの職業を代々続けているということは元は非人よネ、といった会話が現在でも聞かれるのです。私が20数年前、ボランティアとして部落解放運動の手伝いをしていた頃よりも少なくなったとは思いますが、それでも結婚の話が持ち上がると相手方の氏素性を調査するのはまだまだ多いのです。何なのでしょうか、この氏素性とは。以前、差別撤廃を叫んでいたインテリの人(某大学教授)が娘の結婚の時に相手が部落出身ということを聞いて結婚に反対して信用を失ったという話があり、それ以来インテリという言葉を悪い意味で使うことになったことがあります(intelligentsia、インテリゲンチャ:知識階級、識者、インテリ)。先祖が貴族や武士だと、その本人も偉いのでしょうかね。ただ、氏素性という言葉が日本の社会通念として定着しているのですから、物ごとそう簡単に解決しそうもありません。しかし、人間平等の立場から「部落」や「部落意識」は、断固としてこれはなくさないといけません。差別・被差別はなくさないといけません。

 部落解放運動は水平社(後に部落解放同盟、その他色々のグループが出来てしまってややこしいので省略します)だけの運動から、やがて国をあげての運動になったことは前にも述べました。同和対策審議会答申(昭和36年)、同和対策事業特別措置法(昭和44年)、地域改善財政特別措置法(昭和62年)などが法制化されました。一応、それらの法律は期限が切れて、今、基本法という法律の制定の動きがあります。活動は「部落解放」からより普遍的な「同和」という訳のわからない名称に移ってゆきましたが(本来は、人間みな同じという意味なのでしょう)、社会的に行政的に現在行われている運動は「部落解放」のみで、「人間の自由と平等」については全く意識もされていないことを前述しました。実は同和対策審議会答申にはちゃんと人権について述べられてはいるのですが。本来は「人間の自由と平等」の啓蒙活動の一環として部落解放が取りあげられるべきなのに、実際は部落解放の活動の中で「人間の自由と平等」が建前として、大儀名分として謳われているに過ぎないのです。同和対策のパンフレットなどを見ても、その説明に「江戸幕府は士農工商の下に非人という階級を制度として設け・・」として部落問題をとりあげ、次に「江戸時代以前の賎民(非人をさしている)にくらべ、江戸時代の賎民は制度として・・」と書いてあります。同和活動は本来、人間の平等すべてについて総括するべきなのですが、始めから部落解放のみに取りくんでいると言っても良いでしょう。映画「橋のない川」で有名な水平社からの活動の継続という経緯を考えれば理解はできますが、ここに重大な誤りがあると私は考えるのです。「貴賎の区別をなくす」というのは、「支配(貴)被支配(賎)の区別をなくす」と考えるべきなのに、現況の同和対策は「賎(平民)の中の細かい階級制度の区別をなくす」ことばかりに全てを費やしているのです。勿論、部落差別はなくさなくてはなりません。しかし、根本的な問題は、支配・被支配の基礎部分から起こっていることを再認識しなければならないのです。

 貴賎の区別をなくすとは、どうのようなことをいうのでしょうか。士農工商で説明すれば、「士」と「農」の間の区別を撤廃しないかぎりは、差別問題は解決しないということです。「士農工商/非人」という着眼点から「士/農工商非人」に着眼点を移さなければなりません。これまでの同和の考えは「士は農工商(平民)の支配のために非人(賎民)という賎民を制度化した、だから非人は作られたものであって、部落出身だからといって差別するのは適当でない」という所に原点があります。つまり、「士」が「農工商非人」を支配していたことをまるで認めてしまっているのです。ですから見落してはいけません「士(支配階級)が存在し、平民や賎民を制度化して支配した」ことを。ここに自由と平等の原点が、支配と非支配の境界があるからです。エッ?と思われた方も多いでしょう。そんな差別など今でもあるのか、と思われた方もあると思います。おそらく、行政や教育で同和問題に携わっている方々にもこの問題意識はうすいと思います。昔から続いている支配・被支配の関係のなかで、部落問題以外は麻痺しているのです。今、同和対策で「歴史的に部落が存在してきたことを認識しよう」という活動が行われているのですが、「今でも支配階級的風習が続いていることを認識しよう」という活動を加えなければならないと私は思っているのです(本来はこちらが主たる活動であるべきかもしれません)。

 では、どんな所に支配階級的風習が続いているのでしょうか。質問をしてみます。学校の先生は偉いですか、校長先生は偉いですか、市会議員は偉いですか、お医者さんは偉いですか、「お偉いさん」という言葉を使いませんか(使っても良いのですけれど)。ここで言う「偉い」は、実は潜在的に昔の支配階級に対して被支配階級が使った態度なのです。お偉いさんを宴席に招いた時に幹事は上座と下座に苦労します。招かれた方も席順に文句を言います。ご挨拶いただく順序も難しい、乾杯の音頭は誰がよいか、とも迷います。そういう風習なのです、日本では。学校や役所の行事でも同様、結婚式のスピーチの順番も大変。葬式の弔電披露でさえ順序が難しい。お偉いさんは、その地位と身分だけで威張っても良いことになっています。本当に人間的に成長した人なら威張るなんてことはしないのにね。だから、そういう文化と言ってしまえば、それが日本の、良くも悪くも文化なのです。でも、その文化はいつごろから、また、どんなルーツを持っているのでしょうか。答はおわかりでしょう、支配・非支配の文化なのです。武士(士族)は身分は上で、人間の価値も上で、上座に座ります。武士階級が今では、校長先生とか社長さんと議員さんとか上司とかにすり変わっていると思って良いでしょう。

 校長先生は、実は一人の人間として見ればとりわけ「偉い」わけではないのです。ピラミッド構造の上に位置しているだけです。しかし、生徒に対して、一般の教員に対して校長は「偉い」存在となっています。弟子が実際に指導をしてくれる師匠に対して敬意を払うのは良いでしょう。生徒が自分の担任の先生を敬う心は大事でしょう。でも、教諭という職業についているからというだけで、世間では「偉い」と勘違いしていないでしょうか。教職を退職した人が文化的な経験がなくても、文化施設の長に天下りしたりします、「偉い」人だったからでしょうか。長い被支配文化に慣らされた日本人は、解放されてもなお「殿様」を作りたがる、というような穿った考え方にもなってしまいますね。

 市役所の職員は、国会議員や市会議員を先生と呼びます。呼ばれる方も納得しています。学校の先生も、病院の先生も、議会の先生も、一介の人間としては平等なのですが、つまり制度上では支配階級ではないのですが、先生がたは偉いという、そういった社会通念が続いてきたのです。勿論、儒教の影響もあるかもしれません(礼や義の前に、仁があるのを忘れているようですが)。しかしです、下を見下すというのが差別であるのならば、上を見上げるというのも差別なのです。そこの所を福沢諭吉は始めから指摘しているではありませんか。「人の上に・・」「人の下に・・」と。現在の行政や同和教育が「人ノ下ニ人ヲツクラズ」ばかりに目を向けているのには驚いてしまいます。私には一番偉そうにして威張っているのは、こともあろうに教育委員会とさえ思えてきます。「人の上に」人を作らせている(偉いと思わせている)ように私には見えるのです(誇張ですが)。校長先生は偉い、と今でも学校で聞く言葉ですし、校長先生の中で特に偉い人は教育委員会の偉い先生になっていくのですから。冗談はさておき、福沢諭吉は人間平等のための具体的な方策を提案しました。学問です、教育です。宗教改革(神の前にあっては全ての人間は平等であるという運動)におけるマルチン・ルターの聖書のドイツ語翻訳と同じ考え方かもしれません。同和教育を行っておられるのは「偉い」先生方や教育委員会のお役人様ですから「学問ノススメ」は必ずや読み、ここでいう学問について理解していることと思いますので、「学問のすすめ」についての質問は市役所でおたずねになると良いでしょう。日本での「自由と平等」の先駆者について、同和活動を指導している人が知らない訳はないですものね。ここでいう学問とは、今の行政用語でいえば「生涯学習」にあたるのかもしれません。生涯学習課の方々にも必読の書ですね。身体的な差別をなくすということも入れれば、福祉課や健康対策課の方々にも必要となってくるでしょう。

 またまた厭味が過ぎましたか。ともかくも、差別をなくすのであれば、人の上に人をおかないような行動をとるようにしなくてはいけないということを言いたかったのです。まず、自由と平等の考えからいくと、平等の概念です。人は人として誰からも差別されないし、差別しない。つまり、人の上にも人の下にも人を置かないのです。まず、行政でいえば議員を先生と呼ぶような馬鹿な行動を役所全体で中止することでしょう。なにせ、平等の立場から言えば、決して偉くはないのですから。もし、けしからんという議員がいれば、支配階級的な立場を崩されたくないだけの人ということになるでしょう。「さん」で十分なのに。日本の差別意識は、この「偉い」という言葉に集約されても良いかもしれません。もちろん、子供を褒めるとき「偉いわね」といったり(賢いに近い意味)、アインシュタインを偉大な物理学者(はなはだしいという意味)と言ったりするのとは違います。もともと偉は、すぐれているとか甚だしいとかの意味の漢字ですから。ここで言う差別の元兇は「お偉いさん」と使う「偉」です。

 もう一方の概念、それは自由です。大変理解が難しいと思います。自分勝手で何事をやっても良い権利、ではないはずです。我儘とは違うはずです。議員さんやお役人や教員や警察官は自由の概念をあまり知りません。困ったことです。ここでは差別によって束縛されない、規制を受けない、特権を与えられない権利とでもしておきます。あまりに論点が拡がるからです。現在の同和事業では被差別部落に特権(優遇)を過大に与えている状況ですから、自由という観点(つまり、特権を与えられない権利)から言えばこれも落第かもしれませんし、特権(既得権)を与えられてそれを離さないようであれば、逆に優遇措置を受けている側も「お偉いさん」と同じことになってしまうでしょう。

 何故って? それは、自由であるためには、独立していなければならないからです。自由であるというためには、「独立して存在していることが出来る」という条件が必要なのです。補助金をいっぱい貰っていて「何に使っても俺達の自由じゃないか」という言い分が通らないのと同じ事なのです。自由に行動するためには、経済的にも独立していなければなりません。自由を宣言するには、精神的にも独立していなければなりません。ここが重要なポイントであることを今、ご理解下さい。

 学校で様々な規則が決められています。管理教育(=人権無視の教育)全盛であった頃の過去の遺物であるべきなのですが、教員達はそれに気が付いていません。学校が自由と平等を教育する機関であるとすれば、まず生徒たちの「独立」を少しでも手助けしなくては話になりませんが、「独立」しようとする心を閉ざしてしまう様な規制の網を生徒たちにかぶせています。

 お役所や学校はプライバシー(個人の秘密を公開することを拒む自由)の侵害は平気でやっているくせに、情報公開は嫌がっています。そして、公開の自由と非公開の自由のジレンマに悩むこともなく、表向きは民主主義だの自由だの平等などと宣うきらいがあります。

 中途半端ですが、今回は自由の問題(つまり独立の問題)についてはこれだけにしておきます。問題が他にもあるからです。文化です。差別撤廃、つまり人間の平等に向けた活動と日本の風習、社会通念、文化との間に相入れない部分が生じるのです。日本の伝統的な文化は支配階級が制度として存在していた時代からの継承だと述べました。弥生時代からとも書きました(「江戸時代には・・」などという説明をパンフレットを作成した人々は本当には理解できていない証拠なのです)。敬語もそうです。敬語は他の国にはない、日本固有の誇るべき文化である一方で、支配・被支配をあらわす基盤なのです。目上、目下はどこで決めていますか。昔の天皇は余程偉かったのでしょう、自分自身に対しても自己尊敬語(二重尊敬)というのを使っていました。たいしたものです。「よってそちに褒美を遣わす」「ハハー、有難き幸せ」:時代劇も文学も能狂言や歌舞伎も自由と平等では話ができません。茶道は、元来は自由と平等に根差したものだったんでしょうが、家元制度になってからは自由と平等では組織の運営ができません。かの福沢諭吉も天皇制のなかで強い批判を起こすはずもなく、文化的な差別意識については言及できませんでした。

 ただ、日本の文化の根底に差別的な要素があるとしても、日本文化のすべてを否定するわけにもゆきません。私達は日本に暮し、日本の文化を愛し、日本語を話しているのです。社会通念として身分の上下関係だけでなく、いろいろなものが含まれています。紅葉は美しいという美的意識も社会通念のひとつと考えられます。日本に住む限り、日本の伝統的な文化を大事にしていきたいと思います。思いますが、そのまま受け入れると差別意識の是認になってしまいます。ここに、大きな問題があるのを理解していただきたいのです。このあたりの議論をさあ、始めなくてはいけません。

 実は、自由と平等についての理解はまだ簡単な方だったのです、個人個人の心の中で育めることですから。ところが社会全体で差別意識を取り払って行こうとするときには、この日本古来の伝統的な考え方(社会通念、文化)と差別意識撤廃とをどう融合していけばよいのか、について相当の研究と議論が必要になるでしょう。私自身、解決策を持っているわけではありません。専門家の方々にお願いして、方策を練って戴くしかないかもしれません。

 やや中途半端に終わりましたが、一応これで稿を終えます。自由と平等、この言葉に意味を理解しつつ、部落問題や男女差別を始め、種々の差別意識の撤廃に皆さんと共に考えていきたいと私も思っております。ご意見をお待ちしています。

 

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